イタリアから帰国して自主隔離生活が終わって、その後すぐに外出したことから炎上した『木村拓哉』さん。
今も昔も変わらずイケメンでかっこいいですが、そもそも木村拓哉さんの全盛期はいつなのでしょうか?
そして、若い頃から現在まで、数々囁かれる木村拓哉さんの伝説がすごい!のでまとめてみました!
木村拓哉 プロフィール
氏名 | 木村拓哉(きむらたくや) |
---|---|
生年月日 | 1972年11月13日(48歳) |
出身地 | 日本、東京都調布市 |
身長 | 176cm |
血液型 | O型 |
職業 | 俳優、歌手、声優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、CM、舞台、バラエティ番組 |
活動期間 | 1987年〜 |
所属事務所 | ジャニーズ事務所 |
著名な家族 | 妻(工藤静香)、長女(Cocomi)、次女(Koki)
弟(木村俊作) |
公式サイト | Johnny’s net > 木村拓哉 |
木村拓哉さんは、1972年11月13日生まれで、48歳なんですね!
木村拓哉さんは、東京都調布市出身で、身長176cm、血液型O型です。
木村拓哉さんの活動期間は、1987年からなので15歳のころからずっと第一線でご活躍なんですね、すごいですね♪
私もキムタク世代なので、他のどの人が出るよりも、木村拓哉さんが出ると華やかになるし、何かカッコいいところが見れるんじゃないかと思って見てしまいますよね〜(’v`)♪
キムタク=月9の印象が強い木村拓哉さんですが、「教場」や「BG」などでは今までにない木村拓哉さんの魅力が増してます!!
木村拓哉さんは、アイドルでもあり、カッコイイ姿をたくさん見せてくれるエンターテイナーなので、テレビ画面から漏れ出る魅力に男女問わず魅了されちゃうんだと思います!
最近では、娘さんやワンチャンとの姿がインスタで見れたりと、「みてはいけないもの」「特別な姿」を見せてもらってるような気分で、とても嬉しい気持ち、ほっこりさせてくれます♪
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木村拓哉の全盛期はいつ?
木村拓哉さんの全盛期はいつかというと、大体1996年頃~2003年頃(アイドル人気の絶頂期とタレント人気の絶頂期が続いた)と言えると思います。
●1991年 [CDデビュー]
1991年の”アイドル氷河期”にデビューしてしまったので、デビュー曲『Can’t Stop!! -LOVINGー』はオリコンチャート二位という結果に終わりました。
歴代ジャニーズグループの中でも、かなり知名度に低かったデビュー曲ではないかと思います。
●1994年 [人気上昇期]
1992年から放送のバラエティ番組「夢がMORIMORI」で、アイドルとしては珍しい体当たりのコントなどに挑戦し続け人気を徐々に拡大していた。
1993年放送のドラマ「あすなろ白書」で木村拓哉さんが注目されたことが重なり、この年に発売した12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」で、SMAP初のオリコンチャート1位を獲得。
また、「オリジナルスマイル」「がんばりましょう」など知名度が高く、今でもよく歌われる曲を発売しました。
中居正広さんと香取慎吾さんが「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢された。
●1996年〜1997年 [人気絶頂期]
1996年は、「SMAP×SMAP」の放送が開始!
シングル曲「青いイナズマ」「SHAKE」が大ヒット!!
ドラマでは、木村拓哉さん初主演作品「ロングバケーション」が高視聴率(最低でも25.5%、最高は36.7%)を記録した。
1997年は、シングル曲「ダイナマイト」「セロリ」など発売。
木村拓哉さん主演ドラマ「ラブジェネレーション」が高視聴率(全11話の平均視聴率30.8%)を記録しました。
中居正広さんがジャニーズ初「NHK紅白歌合戦」の司会を務め白組初司会の最年少記録を打ち立てた年です。
この2年は、森且行さんの脱退を除き、あらゆるジャンルで成功し、アイドルの絶頂期であったと言えます。
●1998年〜 [タレント人気へ移行]
1998年に発売された「夜空ノムコウ」から徐々にタレント人気へと移行。
2000年にミリオンヒット「らいおんハート」「慎吾ママのおはロック」発売時にはほぼタレントとして大人気!!
そして、2003年にダブルミリオンヒット「世界に一つだけの花」を発売!
木村拓哉の若い頃から現在までの伝説は?
木村拓哉さんの若い頃から現在までの伝説をまとめてみました!
- アイドルなのに、彼女ぐらいいますよ、と言い、堂々とデートした!
- アイドル絶頂期に”できちゃった結婚”しても人気が落ちなかった!
- アイドルなのに愛想笑いをしなかった!
- アイドルなのに男のファンも多かった!
- イケメンなのにお笑いも全力だった!
- アイドルでドラマが成功したのはキムタクが初めて!ジャニーズのドラマ、映画、司会、お笑い、全ての道をSMAPが作った!
- キムタクが身につけたファッションや持ち物がブームになった!
- ”ロン毛”の人が溢れた!
- 「ギフト」というドラマでキムタクが持っていたバタフライナイフを真似して殺人事件まで起きた!クールで面白いドラマだったが再放送禁止!数年前までDVDも出ていなかった。
- キムタクの趣味のサーフィンや釣りをする人が増えた!
- キムタクが演じた職業についた人が続出した!
- 抱かれたい男ランキング15年連続1位!
- 映画「武士の一分」日本アカデミー優秀主演男優賞を辞退した!
- キムタクのポスターが街に貼られると盗まれるので、ポスターの前に警備員がついた!
- ドラマのスタッフを大切にしていて、100人ぐらいのスタッフの名前を全部覚える!SMAP時代は、キムタクだけ楽屋がなく、全室で着替え・メイクなど全て済ませていて、スタッフと喋っていた!
- プロ意識が高く、台本を持ち込まない!台詞を全部覚えていてNGを出さないし持ち込まない!
- 休憩の時も楽屋に戻って休まず、スタッフとコミュニケーションをとる!
- 人気も凄いがアンチややっかみも多く昔から叩かれている!
- 子供からお年寄りまでキムタクの名前を知らない人はいないし、注目が高いのでネットや週刊誌の記事は嘘が氾濫している!
- 日本のあちこちにキムタクの別荘があるっていう都市伝説が多い!Tama HomeのCMに出て、その後、然るべき対価を払い、本当に河口湖近くの土地に
- 別荘があるらしい。
まだまだ他にも知らない木村拓哉伝説や全盛期の噂はあるのだと考えると、今の40代の芸能人でここまで凄い方はなかなかいないですよね!
木村拓哉さんの人気はいままた再燃していますし、メディアでもたくさん見かけることが増えましたよね♪
40代になっても第一線で活躍するジャニーズの代表として、これからも伝説を残されることは間違いないですね!
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まとめ
『木村拓哉の全盛期っていつ?若い頃から現在までの伝説がすごい!』をお伝えしました。
木村拓哉さんの全盛期はいつかというと、大体1996年頃~2003年頃(アイドル人気の絶頂期とタレント人気の絶頂期が続いた)と言える!でしたね。
木村拓哉さんの若い頃から現在までの伝説は、ありすぎて数えきれないほどでしたが、ドラマの役によって殺人事件が起きてしまうほどの人気とは、今では考えられない人気だったことは間違いありませんね!